やまぐち幕末ISHIN祭

スペシャルインタビュー vol.7

山口県では、平成30年の明治維新150年に向けて、観光キャンペーン「やまぐち幕末ISHIN祭」を展開中です。関西で開催した、幕末の長州の歴史を学ぶイベントの講師など、さまざまな形で山口県のためにご尽力いただいている、和木町出身で幕末・維新期の日本政治史や軍事史学研究者の竹本知行(たけもと ともゆき)さんにお話をうかがいました。

――― 先生は和木町出身で、現在、幕末・維新期の日本政治史や軍事史学を研究しておられますね。子どものころ、歴史への興味は?

竹本さん:ずっとありましたね。和木町は幕末、「幕長戦争(※1)」で芸州口の戦いの場となったところで、私は小学生のとき、社会見学で幕末の史跡へ連れて行ってもらったり、郷土史家の先生の歴史講座などを聴きに公民館へよく行ったりしていたんです。子どもは私一人。前の席で一生懸命聴いていましたね。そんな風変わりな子どもでしたから、他の同級生と話が合うはずがないですよね(笑)。みんなも話につき合わされて困っていたんじゃないかな、と今思いますね。

――― 子どものころに行かれた和木町にある幕末の史跡とは、どんな史跡なんですか?

彦根戦死士之墓(和木町)

竹本さん:例えば、幕長戦争で亡くなった敵軍の「彦根戦士之墓(※2)」です。今思えば、そのお墓は私の歴史観と一致するところがある史跡なんですね。その彦根戦士は伝令士として来たのですが、戦いが始まり、撃たれて小瀬川で亡くなってしまうんです。人々がその亡きがらを川から引き揚げ、懐にあった妻からの手紙を読んで彼を気の毒に思い、非常に手厚く葬った。それが彦根戦士之墓で、 墓碑には次のようなことが書かれているんです。これは彦根人の墓、その武勇をほめたたえたい。この彦根人は、ふるさとを遠く離れ、不測の地に入り、ついにその主君のために亡くなったのだ。敵ではあるけれども、その美を消し去ってはならない。この墓の前を通る人は、どうか彼に敬意を表して通ってくれるでしょうか――と。つまり、長州には長州の大義があるけれども、敵の彼らにも彼らの大義があり、互いが大義のために戦ったのだ。勝った方が偉いわけではない、と。戦争とは、そういうものなんですね。どちらか片方の歴史観が正しく、もう片方が間違いだ、ということはない。そういったことを私は当時、子どもなりに理解した気がします。

――― 彦根戦士之墓…。とてもいい史跡が和木町にあるんですね!!

竹本さん:ふるさとの誇りです。ぜひ多くの方に見ていただきたいですね。子どものころ、その彦根藩士之墓のことを語ってくださった先生に本当に感謝しています。私は高校を出て、ふるさとを離れたころは、自分が田舎者で恥ずかしいぐらいに思っていたときもあったんですが、逆に今はもう故郷山口県が大好きで、完全に長州ナショナリストです(笑)。

――― 昨年、『幕末・維新の西洋兵学と近代軍制-大村益次郎(おおむら ますじろう)(※3)とその継承者-』をご出版されました。なぜ大村の研究に取り組まれるようになったのですか?

竹本さん:大学入学当時、現代政治が面白いと感じ、現代政治のメカニズムを知るため日本政治史をさかのぼって戦後政治、昭和の敗戦と調べる中、明治時代に日本の陸軍をつくった山県有朋(やまがた ありとも)(※4)、維新後に近代兵制を確立させようとした大村へと興味の対象が行き着いたんです。大村については司馬遼太郎(しば りょうたろう)の小説や大河ドラマ『花神(かしん)』で主人公として描かれていますが、その実像については、政治史の中で体系的にまだ十分に研究されていませんでした。そうしたことから関心が募り、研究するようになったんです。

――― 大村のどんなことに興味を感じておられるんですか?

竹本さん:あの時代に西洋の文化である徴兵制度・西洋軍隊制度を、文化の土壌が全く違う日本にどうやって移植したのか、大村はどんな可能性を見出していたのかということです。それまで日本は、国際法でいうところの主権国家にはなっていませんでした。しかし、いきなり国際政治の中に放り込まれ、日本はどうやって独立を維持していけるかが大問題となり、軍事制度を改革していかなければならなかった。大村や盟友の木戸孝允(きど たかよし)(※5)は、「藩」を超えて、「国家」という意識が強い人たちで、日本の独立を維持するため、日本を急いで一つの国としてまとめ上げようとした。そうした中で大村は人々の意識を変え、国を整える法を作り、徴兵制を進めなければと考えた。それに対して大久保利通(おおくぼ としみち)は徴兵制ではなく、藩兵を編成し直すことで可能だ、と。しかし、大村はそれでは将来に禍根を残すと考え、決して妥協しなかった。大村という人はテクノクラート(※6)ですが、社会学者のマックス・ウェーバーが挙げる政治家に必要な3つの資質も兼ね備えていたんですね。

――― 大村が持っていた、政治家に必要な3つの資質とは?

竹本さん:1つは政治行為に対する献身的な〈情熱〉です。次に、ありとあらゆる可能性を見据えて判断する〈先見性〉。もう1つが、予測される未来への〈責任〉。大村はどんな危険が待っていても自分には結果を引き受ける責任がある、と考えていた。実際に大村は明治2(1869)年、刺客に襲われ、その時の傷がもとで亡くなります。学者だった大村は学問の目的を自分のためではなく、もっと大きな目的に結合させていた人。日本を世界の中できちんとした主権国家にするという、まさに「常識を発達させよ、見聞を広くしなければならぬ」と考えていた人だった。そんな学者・大村に私は共感するんです。

――― 先人たちが命がけで取り組んだ延長線上に、今の日本があったんですね。大村というと「花神」。その言葉にはどういう意味があるんですか?

竹本さん:いわば「花咲かじいさん」です。枯れ木に花を咲かせ、その後は何もなく消えてしまう。大村も近代という花を咲かせて去っていく。司馬遼太郎はそんなふうに書いています。その前に徳富蘇峰(とくとみ そほう)(※7)もそうした歴史観を書いていて、明治維新を革命と表現しているんですよ。革命とは、第一段階として吉田松陰(よしだ しょういん)(※8)のような「預言者(思想家)」が現れ、次に高杉晋作(たかすぎ しんさく)(※9)のような「革命家(軍事的天才)」が現れ、そして大村のような「建設的革命家(設計者)」が現れて成立するのだ、と。

――― なるほど!!ところで先生には昨年「やまぐち幕末ISHIN塾in関西(※10)」の開催に当たり、3回にわたる講座など多大なご協力をいただきました。開催して、いかがでしたか?

竹本さん:関西在住の長州ファンなど多くの方が参加してくださり、「山口県を身近に感じられた」、「講演が面白かった」とご好評をいただきました。今年も山口県やNPO法人京都龍馬会などが主催して「京都幕末祭(※11)」を9月に京都市役所前と同志社大学キャンパスで開催しました。今後も明治維新150年に向けて座学と、山口県の地酒、京都にある長州ゆかりの地を巡るバスツアー、晋作も好きだった都都逸(どどいつ)も楽しめるようなものをセットでできたら…と思います。

――― 面白そうです!ぜひ実現を!!京都市役所東側は長州の藩邸跡。同志社は薩摩の藩邸跡。京都には「禁門の変(※12)」の舞台・京都御所をはじめ長州ゆかりの地がとても多いですね。

竹本さん:ええ。禁門の変で亡くなった長州の人たちの慰霊・顕彰は今も東福寺退耕庵、天龍寺、相国寺、上善寺など多くの寺社で行われているんですよ。

――― 京都の史跡と関連させながら、県内外の方に、山口県にある幕末維新ゆかりの地を訪ねて、学び、おいしいお酒や食べ物も楽しんでいただけるとうれしいですね!最後に、先生から見た山口県の魅力、山口県への思いをどうぞ。

竹本さん:山口県は維新胎動の地。先人が世界に打って出た場所。長州の先人たちは、海外の新しいものを追求しながら、それと相反する日本の独自性・伝統的な日本の良さも守ることを、共にかなえようとした。歴史を学ぶことは、今の私たちを正しく知ること、これからどう生きていけばよいかを考えることにつながります。彦根藩士之墓の他にも、山口県には敵味方を超えて交流した話がいろいろあります。県内外の皆さんにぜひもっと山口県をめぐっていただき、山口県の歴史や山口県の魅力を知ってほしいですね!

※1 慶応2(1866)年に起きた幕府軍と長州軍との戦い。
※2 慶応2(1866)年秋、彦根藩士を撃った長州岩国の隊長が中心となって安禅寺に埋葬。
※3 現在の山口市鋳銭司生まれ。幕末・維新期の軍政家。
※4 現在の山口県萩市生まれ。松下村塾で学んだ。明治時代の軍人、政治家。
※5 現在の山口県萩市生まれ。維新後、政治家として活躍。
※6 技術者や科学者出身で高度の行政・管理能力を有する専門家。
※7 明治から昭和にかけての思想家。
※8 現在の山口県萩市生まれ。松下村塾で多くの志士、後の政治家などを育てた。
※9 現在の山口県萩市生まれ。松下村塾の塾生。奇兵隊を創設。
※10 山口県・関西山口県同郷会・京都山口県人会・(一社)山口県観光連盟・(一社)山口県物産協会主催。
※11 山口県・京都山口県人会・NPO法人京都龍馬会主催。
※12 元治元(1864)年、京都御所蛤御門の付近で起きた戦い。蛤御門の変。この戦いで、松下村塾の四天王である久坂玄瑞と入江九一、塾生の寺島忠三郎が落命した。

竹本 知行

国際日本文化研究センター研究員、同志社大学講師。
1972年和木町生まれ。同志社大学経済学部卒業。同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士前期課程修了。同志社大学大学院法学研究科政治学専攻博士後期課程満期退学。博士号(政治学)取得。「大村益次郎の建軍構想-「一新之名義」と仏式兵制との関連を中心に-」(『軍事史学』42-1、2006年)で阿南・高橋学術研究奨励賞受賞(軍事史学会)。

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