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下松市

下松を歩こう!! ウォーキングマップ 末武コース~下松毛利藩編~

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下松の歴史と商業が織りなす地域をグルッとめぐろう!

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下松市の中央に位置する、末武エリアを歩きます。このエリアは、周南の商業エリアの中心地であると同時に、下松の地名の由来や下松毛利藩にまつわる寺院旧跡が多くあります。
また公集小学校そばにある孝女おまさの頌徳碑は、楫取素彦の撰文によると伝えられています。

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    ①ザ・モール周南

    イベントホールや映画館を併設したショッピングモールです。中には、下松の地元商業者の専門店で構成される”星プラザ”があります。

    東光寺泉所寺のヤマザクラ

    東光寺観音へ登る階段の側には、下松市の指定文化財になった市内では最大の山桜があります。

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    ②泉所寺観音堂

    寛延2年の「寺社由来」によると、推古期からの古刹で、文明の頃、中興したと記されています。元禄2年には徳山藩主毛利元賢公が泉所寺に一泊、享保年間には毛利広豊公の祈願所になる等、毛利家との密接な関係があったとされています。

    毛利就隆居館跡

    徳山藩初代毛利就隆は元和3年(1617)年分知され約18年間この地に居館をかまえ藩政を行いました。跡地を示す石碑があります。

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    ③松心寺

    もとは永心寺と称し、毛利就隆の側室永心院の菩提寺として、寛永17年(1640)に建立されたものです。永心院は大成寺建立により徳山に引かれましたが、石塔はそのままで元禄8年(1695)伊賀崎幾右衛門が施主となり、旧蹟に現在の松心寺を建立しました。

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    妙見宮鷲頭寺

    既存する歴史資料のうち、「大内多々良氏譜牒」文明18年(1486)には妙見社の創建について、百済国の皇子・琳聖太子(りんしょうたいし)が来朝するので、その擁護のため北辰が天降りここに妙見尊星王大菩薩を祀るお社を建立したと記されています。明治3年(1870)妙見山は、民族信仰である天之御中主尊を祀り、降松神社と称して今日に至っています。

    亀池

    鷲頭寺の境内にある池。多くの亀がいます。

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    ⑤周慶寺

    毛利輝元と側室(児玉元良の女・周慶大姉)の間に生まれた就隆は、下松藩主となり母君の菩提のため周慶寺を建立しました。この寺敷には時宗西福寺があり、衰退後その跡地へ大蓮寺を移し周慶寺と改号し50石を寄せました。建造物も本堂の他方丈・庫裏・菩薩堂・鐘楼堂・衆寮等多数の堂宇が存在し、就隆の母堂の寺として盛大を極めたといわれています。

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    ⑥孝女・おまさの頌徳碑

    防長三孝女のひとり、おまさの頌徳碑です。明治30年に建立されました。撰文は楫取素彦によると伝えられています。
    安政7年(1860年)、おまさが99歳で亡くなるとき、藩主の毛利敬親公により「孝女満佐之墓」と刻まれた自然石の墓が立てられました。こちらは下松市笠戸島の阿弥陀堂にあります。

  • ザ・モール周南

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